2010年7月アーカイブ

 熊河と書いてくまのこうと読んでいた。

 温見(ぬくみ)へ行くまでの集落である。

 

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 この住宅配置図は昭和30年頃のもので、大野市在住の森永さんにより調査されまとめられた貴重なものです。 ご本人の了解を得て掲載させていただいております。
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 下記は水害のあとの写真です。
 写真は土石流の凄さを物語っております。
 この凄さから さぞ多くの人命が失われたとお思いになるかも知れません。
 しかし、亡くなられたのは1名のみでした。 
 これには、当時の村の消防団のみなさんの決断とタイミングがすばらしかったようです。 
 この話はまた今度書きたいと思います。

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 上の写真の左は水害直後で右は平成15年ごろの同じ場所です。

 私の父と母は西谷村出身である。
 父は黒当戸(くろとうどと言うが通称クロットと呼んでいた)で母は中島の出身である。
 両親とも生まれてから成人のころまでは西谷村で生活していたようだ。
 父も母も就職と同時に大野へ出てきて、大野市内で知り合ったらしい。
 それから大野で生活をしている。
 だから、私は大野で生まれ育ったので、西谷村で生活をしていたわけではない。
 ただ、夏休みのお盆近くになると、両親の母親や父親が住んでいる西谷村に連れて行かれそこで1週間くらい過ごしていた思い出がある。
 それは昭和40年過ぎの数年間だったと思う。
 子供ながらに覚えているのは、水害で流れてほとんど形が無くなってしまった家屋などがあったのを覚えている。
 それから、西谷村は水害により廃村が決まり、私の祖父祖母も大野市内へ引越ししばらくくらしていたが、親父おふくろは廃村となった西谷村へよく遊びに連れて行ってくれた。
 私が知っている西谷村の話は親から聞いたことがほとんどだが、村のことをよく調べて知っている有志の方のお話や資料をここにまとめておきたいと思います。

 あやふやなものや間違っている箇所もあるかと思いますが、ごらんになった西谷村ご出身の皆様のお声をいただければ幸いです。

 西谷村のホームページアンケート

 

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